Survivor Voice ~小児がん患者さんの声~
Survivor Voice ~小児がん患者さんの声~
小児がん体験をされた方が、診断時・治療中や治療後に何を思っていたのか、ご自身の体験を語っていただいた情報を掲載しています。
小児がん経験者(9歳、14歳、18歳で入院治療)
現在は、理学療法士になるために大学へ通っています。退院は終わりではなく始まり。退院してからも疲れやすく、普通に生活することが大変でした。いつまでこの日常生活を維持できるのか、いまも不安はあります。
「勉強は退院してからでいいよ」は、みんなのやさしさであることはわかっていたけれど、僕自身は勉強がしたかった。退院後の生活でも、学校の先生や家族からできることまで制限されることがつらかった。やさしさがつらいと感じた経験は少なくありません。
高校生で入院したときは、院内学級もオンライン学習もなく、プリント学習。でもそれだけではついていくのは難しかったです。化学療法中の受験勉強は予定通りに行かず、もどかしい思いもしました。
でも入院中にできた友だちは、学校の友人とは違って、苦しみを分かち合える特別な存在です。当たり前が幸せに思えることも、小児がんを経験したからこそだと思っています。
小児がん経験者
小学2年生の夏、関節痛やめまいの症状を訴え、地元の町医者から市立病院へ。「若年性関節リウマチ」と診断され、入院治療を受けましたが、病状は改善せず、県立こども病院へ転院することになりました。当時告げられた病名は、「骨髄機能不全」でしたが、実際には、「急性リンパ性白血病」と診断されていました。入院治療は小学3年生の春までの半年強でしたが、子ども心には永遠に続くのではと思える長い時間でした。一方で、こども病院には腎臓病やネフローゼ、骨肉腫といったさまざまな病気を抱える子どもたちが大勢いて、きょうだいが一気に増え、大家族で過ごしているような楽しさがありました。院内学級で義務教育を受けることができたことも、こども病院ならではのよさだったと思います。退院の日の、あふれんばかりの喜び、仲間と別れる寂しさ、何よりも自分だけが戦いの場から去ることの申し訳なさがまぜこぜになった思いは、いまでも鮮明に覚えています。
通院治療を続けていた小学6年生の頃、何気なくつぶやいた「あの頃のみんなは、今頃何してるかなぁ」という言葉に対する「あぁ、そうか。君は知らなかったんだよね…あの頃のみんなはほとんどの子がなくなってしまったんだよ」という主治医の言葉。白血病でも8割が治るようになった現在とは異なり、その頃は治る子どものほうが少ない時代でした。思春期の多感な時期だったことに加え、寺の跡取りとして、幼い頃から死に近い場で育ったこともあいまって、「なぜ生き残ったのは自分だったのだろう?」と、生と死について日々考えるようになりました。
いまも答えは模索中ですが、いのちのバトンを受け取ったのだと思っています。レストランを開きたかった子のために調理師免許を取り、漫画家志望 だった子のために絵本の活動を行う。僧という肩書きを超えて、いろいろなことに挑戦しているのは、彼らの分の人生まで生きよう、彼らの夢や目標を一つでも多く実現しようという想いからです。もちろん、僧として一人前の仕事をすることは大前提。「かかりつけのお寺の住職」として、苦悩を抱える人たちの荷物を少しでも軽くできるよう、いつでも門を開いています。
参考資料
もっと知ってほしい小児がんのこと 2022年版,p.15,22





