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急性骨髄性白血病患者さんの声

Patient’s Voice ~急性骨髄性白血病患者さんの声~

急性骨髄性白血病を体験された方が、診断時・治療中や治療後に何を思っていたのか、ご自身の体験を語っていただいた情報を掲載しています。

Patient’s Voice ~患者さんの声①~

先のことを悩まず治療に専念、寛解後は人生を謳歌しています

 以前に治療した心臓弁膜症の定期検査で白血球の数値に異常が見つかり、無症状のまま治療が始まりました。告知前、偶然にも同病の女性の手記を読んでいたおかげで、これから起こることが予測でき、心の準備ができました。また、その女性が今も元気なこと、主治医に「いい治療薬があるから大丈夫」と言われたことが大きな希望になりました。しかし先のことを考えると不安は尽きず、とにかく病気を治すことに専念しようと心がけました。
 寛解導入療法中は高熱や下痢がひどく、心が折れそうになりましたが、寛解して、もうひとがんばりする意欲がわき、寛解後療法を乗り切り退院。
 私の場合、親身に向き合ってくれる主治医と看護師に出会え、仕事にも復帰できて、振り返ると恵まれていたと感じます。AML以前には大腸がん、心臓弁膜症も経験しましたが、今は元気に仕事をして、休日は大好きなスポーツカーでドライブを楽しむ毎日です。
(60歳男性・診断から6年目)

Patient’s Voice ~患者さんの声②~

生きるチャンスをくれたドナーに感謝し、度重なる病を克服

 仕事にやりがいを感じていた33歳で発症しました。寛解後、侵襲性肺アスペルギルス症になり、予定していた末梢血幹細胞移植が中止になりました。
 その後再発し、骨髄移植を待つ1年半は、希望と不安が入り混じる毎日でした。フルマッチから一座不一致移植に切り替えたらドナーが決定。抗がん剤治療中に届いたドナーからの手紙には励まされました。生きるチャンスをくれたドナーには感謝してもしきれません。移植後10年で両乳房に乳がんを発症したときも、ドナーが授けてくれた命を無駄にしたくないという思いで病気と向き合いました。AML再発後に患者会で出会った人と悩みを分かち合えたことでも心が軽くなりました。
 移植後、退職で失ったキャリアを取り戻そうと、母校の高校に臨時職員として就職。周りに必要以上に気を遣わせないためにも、できること、できないことをきちんと伝え、積極的なコミュニケーションを心がけています。
(48歳女性・診断から14年目)

Patient’s Voice ~患者さんの声③~

主治医の勧めで精子保存を選択、後悔なく治療を完遂しました

 骨髄異形成症候群が転化したAMLと診断されたのは39歳のとき。入院中、体調がよければ同病の人たちと趣味や仕事の話をするなど、意外にも笑って過ごせました。退院後も交流は続き、今ではかけがえのない仲間です。
 治療前に主治医の強い勧めで精子保存を選択、私の将来を見据えた提案に感謝しています。その後、二度の寛解導入療法で寛解に至り、寛解後療法へ。骨髄移植はフルマッチのドナーが見つからず臍帯血移植に変更。移植後8日目から高熱、下痢、食欲不振が続き、つらかったです。その状態で主治医から一時帰宅と言われたときは驚きましたが、環境の変化なのか自宅で食べたラーメンがおいしくて食欲と生きる力が回復。あのとき帰宅してよかったです。
 移植で貴重な臍帯血をいただき、今度は私が社会貢献したいと思うようになりました。AMLになり、得意の写真で患者の強く生きる姿や笑顔を記録するというライフワークが見つかりました。
(40歳男性・診断から2年目)

Patient’s Voice ~患者さんの声④~

「もう一度マラソンを完走したい」。退院後の目標が生きる力に

 8年前からマラソンに夢中で、告知の少し前も100kmを完走しました。一方で息切れがひどく、脚のむくみもあったので検査をしたらAMLと診断されたのです。ネットで生存率を調べると前向きな情報が見当たらず、絶望的になって、毎日泣いていました。
 寛解導入療法開始後に“元気になったらやりたいことリスト”を作ることで前向きになれました。また走りたいという思いが治療の原動力でした。三度の寛解後療法を終えて退院し、フルマラソンを完走できたときは感激でした。
 翌年再発し、骨髄移植のために骨髄バンクで予備検索したら適合者はおらず、弟とHLA型がフルマッチとわかったときは涙が出るほどうれしかった。移植から1年半、前処置の後遺症で味覚障害と嗅覚障害が残っています。食べられない物もありますが、苦手だった甘い物を好むようになり、新しい世界が広がったと捉えています。今できる ことを楽しみ、それを少しずつ増やしたいです。
(54歳女性・診断から3年目)

Patient’s Voice ~患者さんの声⑤~

「AMLを機に医療の道へ。 闘病経験を生かし患者のよき理解者に

 告知を受けたときは、大学の工学部で医療機器の研究をしてい ました。治療は二度の寛解導入療法、寛解後療法、維持療法と続き、骨髄移植を予定していましたが、国内でドナーは見つかりませんでした。再発が疑われたとき、海外からの一座不一致移植の決断を迫られましたが、移植で長期休学すると大学卒業をあきらめなければならなくなるため、移植せずに今に至ります。
 治療が一段落すると自責の念に襲われました。亡くなった人の分までがんばろうと思っても、勉強は同級生に遅れを取り、無力さを痛感する毎日。やがて「理想の自分とは違ってもいい」と思えて人生を方向転換し、血液内科医を目指し、医学部に編入しま した。今は都内で在宅療養専門のクリニックを開業しています。つらかった闘病生活を肯定的に捉えるのは難しいことですが、AMLが人生の転機になったことは間違いありません。また、医学部時代に妻と出会い、子どもにも恵まれました。
(45歳男性・診断から21年目)

参考資料

もっと知ってほしい急性骨髄性白血病のこと 2024年版, p.7,9,12,16,22

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