非公開: 閑話けあ(15)日日是好日(にちにちこれこうにち)

珍しくTV番組をみた。タイトルは忘れた(せん妄かな)。番組はがん患者のドキュメンタリーだった。サバイバーと呼ばれる人たちの闘病物語のような作り。番組は3名の病歴を順番に紹介していくところから始まり、最後は3名の雑談会となって、司会者が一人一人に「がんの経験から得られた教訓は何か」と質問して番組は3名のサバイバーのコメントで締めくくられた。3名のサバイバーの語る想いのたけを私は具体的には覚えていないが、その内容はどれも禅語を借りて云うと「日日是好日」であった。誰が作った番組か知らないが、「大変な経験をして生還した人」「その人の語る重い言葉」を視聴者に伝えたいという意図が伝わってきた。放送局にとっては、がん患者も商品なのかと気分が悪くなった(よい番組と捉えたひとはそれで良いと思う)。

人の貴重な経験を知り、その教訓を有り難く聞こうという考え自体は否定しないが、「日日是好日」と云ったサバイバーの教訓は果たして、がんという病気で得られる特異的なものだろうか。死を意識したからこそ、サバイバーは「日日是好日」と実感されたのではないのか。人には寿命がある。知っていて、考えないようにしている人が多いと思う。私は脳梗塞を起こしたときに、自分勝手に死を実感したが、現場に復帰したときの感想はまさに、「日日是好日」だった。 つまり、TV番組で強調された「がんになって知りえる教訓」とは、がんという経験が教えてくれるのではなく、人には寿命があるという現実を実感した人が知りえる教訓だと私は思う。

年度末のバタバタの最中に、私の医療監修(主に科学根拠をチェック)した子供向け「がん情報企画(すごろく)」に対して、患者団体からリセットして欲しいという要望が出たと連絡を受けた。関係者には真摯に対応するようにお願いしたが、ここでも私は「がん」そのものではなく、人には寿命があるという事実を教育のなかでどのように扱うかという、日本人の死生観の問題を感じた。子供たちに死亡数第1位の病気について教えることには誰も反対しないと思う。しかしながら、ある人が「親をがんで亡くした子供に、がんの話をして良いと思っているのか」というような指摘をされていた。教育者の意見が聞きたい。「がん」は明るく伝えてはイケないのか。家族を「がん」で失った子供に「がん」を思い出させてはイケないのか。私は日常診療のなかで、がん患者に相手(がん)をよく知って向かい合うよう奨めることが多いのだが、子供の教育において、このような概念は禁忌なのか。どんな伝え方が子供に適しているのか、誰か私に教えて欲しい。それはきっと大人にも、がんの治療現場でも大いに参考になるはずだ。

5年前、私は妹を先に見送った。妹は白血病だった。私の2人の子供は当時、小学生と幼稚園児だった。1年間、加療で入院していた妹を子供と一緒に見舞った。妹がGVHDで苦しんでいたときも連れていった。せん妄状態になり、話せなくなった妹にも会わせた。棺の中に入った妹にも触れさせた。のちのち私の子供たちは、なぜ父より若い叔母が先に逝ったか知りたがった。妹の話がタブーになったことはない。子どもと一緒に泣いたし、一緒に笑った。

岩瀬 哲
著者プロフィール:岩瀬 哲

東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部 副部長
1994年埼玉医科大学卒業。2003年より現職。緩和医療学と臨床試験データ管理学が専門。座右の書は「葉隠聞書」。元ボクサー。JAZZはダラー・ブラントの「アフリカン・ピアノ」。リチャード・ドーキンスに影響を受け「進化医学」も標榜している。
2007年以降もっとも力を注いでいる業務は、がん患者と家族を中心とする「地域医療連携」。がん患者と家族には「かかりつけ医」が必要と訴えている。
日本乳癌リサーチネットワーク(JBCRN)と日本緩和ケア検証ネットワーク(JPCAN)の科学ディレクター兼任。2011年8月、TIA(一過性脳虚血発作)を発症するも復活。

“非公開: 閑話けあ(15)日日是好日(にちにちこれこうにち)” への2件のフィードバック

  1. 子持ちシングル治療中 より:

    先生、私は個人で意見をお送りしお話させて頂きましたが、ニュアンスが違うようです…先生は、今の公立小学校の、研究発表会でも、参観日でも、取材中でも無い普段着の子供達をご存知ですか?娘は全ての治療、検査勉強会、講演会に自主的に参加します。娘なりに理解し、家族に降って湧いた危機とある意味私以上に前向きに戦っているのだと思います。双六を拝見して娘に意見を訊いた所、先生や友達が何といおうと絶対やらない。でした。講演会では大人ない交じり積極的に発言するのに、少し意外でした。拙い発言から推測するに、自分が闘う危機を、双六というレクリエーションで軽々しく扱って欲しくない、元気で素直な級友の無神経な言動で、心を土足で踏み躙られるような気がする。 と言ったところだと思います。例えるには申し訳ありませんが、震災の話で、級友の何気ない言動から傷つく友達を守れず悲しく思うそうです。地震や津波を知る為に、双六を作るでしょうか?がんを知るのは大切ですし、明るく教えるのも良いと思います。しかし、何故レクリエーションなのか。と思い残念です。我々がん患者は、先の見えない、恐怖の双六に人生を握られているようなものです。是非とも、最良の形での教育資料をお作り頂けますよう、心よりお願い申し上げます。

  2. ぽんぽこ より:

    はじめまして。がん情報企画について見聞きせぬまま、また、教育者でもない私ですがひとりのがんサバイバーとして書き込みをさせていただきます。

    子供だから、という考え方はおすすめできません。

    「すごろく」の形をとられたのは、子供相手にわかりやすく伝えようと苦心された結果だと拝察しました。しかし、人の命のことでもありますし、ゲームやあそびを通して理解させようとするのには少々無理があるような気もします。ゲームで伝えたとして子供の記憶に残るかどうか。(遊んだだけで記憶に残らない?)

    こどもに、がんという病気を伝えるときに以下のことは伝えられそうでしょうか?

    ・身近な病気であること(必ずしも、がん=死ではないこと)
    ・身内や友達、あるいは自分がかかった時、どのように対処することができるか

    話を聞いたこどもたちの理解度はいかばかりか?ではあります。

    次に「がんの家族がいる子供がいたら?」ですが、
    配慮は必要なものの、気にしすぎるのもどうかと。
    (かえって別視するようなことにならないければよいですが)

    話し方にも気を配りたいですね。明るくユーモアも少しはあってよいかもしれません。ただ真摯な態度は必要かと。話をするときにはゆっくりと子供ひとりひとりの顔を見て、その場にいるこどもに自分のこととして話をきくよう促してみてはいかがでしょうか。命について語りかけていることを態度で示すのです。対話する相手をみつめ、想像することから始めてほしい。かわいそうだから話題を避ける、こう考えるのが普通かもしれません。ところで相手はどうでしょう?切り捨てた見方をしていると見落としがちです。ひょっとすると、がんで親族を亡くした本人は気持ちの行き場を失っているかもしれません。そうしたことを考えながら話すことが肝要ではないでしょうか。私が当の本人だったら、必要以上に疎外感を感じるのは辛いし、話し手も気持ちに共鳴してくれているとわかった方が気持ちがやわらぎます。

    (話は脱線します)私の親が亡くなったときのことです。同僚の誰からもお悔やみの一言ももらえず、疎外感を覚えたことがあります。今思えば職場という場所柄、知らない間にこちらが迷惑をかけていた可能性もあり、あるいは互いに相手の気持ちを慮るあまり人としての自然な感情(言葉や態度まで)を表に出さずかかわらないようにした、という心理が働いたのかもしれません。素直な気持ちにふたをすることは、必ずしもお互いのために良い結果を生むとは限らないと感じました。

    年齢に関わらず、人はまわりから理解されていることがわかった方が多少なりとも気持ちがやわらぐのではないでしょうか。子供も話の内容や真意がわからないながらも一所懸命に聞いて記憶にとどめるでしょう。直ちに理解できなくても成長する段階でわかってくることがきっとあると信じます。

    長くなりましたが、がんのことを伝える際には相手が誰であれ、一般向けの表層的な話にとどめず、対処法などについてサバイバーならではの自身の体験談を語られた方がいっそう充実するのではと思います。(おわり)

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