非公開: 閑話けあ(14)DPCとジュネーブ宣言

どのホスピスにも入床基準なるものが存在することをご存知だろうか。私は自分の診ている「がん患者さん」をホスピスに紹介してきたが、たいていが入床基準を満たすことができず、ホスピスに患者さんを送り出した経験は極めて少ない。「紹介数が少ないのでは?」という質問には「私の所属する緩和ケアチームの年間依頼件数は500件を超える」と答える。ではなぜ、このような現象が起こるのか、説明したいと思う。

がんの患者さんは自分を治療してくれた医師を生涯の主治医にしたいと考えるように見える。「当然のことだ」と云わると思うが、多くの急性期病院が導入している「DPCによる定額支払い制度」はこの概念を否定する。私の働く急性期病院もDPC(Diagnosis Procedure Combination:診断群分類)という評価方法を用いた定額支払い制度を導入しているが、そのDPCには「疼痛」をはじめ、緩和ケアの対象となる苦痛は診断名として挙がっていない。つまり、緩和ケア目的の入院はDPC上「無い」のだ。また、緩和ケアを目的に入院する患者さんの多くは長期入院が必要となるが、定額支払い制度を導入する施設での長期入院は「難しい」。DPC制度は回復への最短治療が行われるように導入された制度であり、従来の診療では採算割れしてきた急性期病院を救う制度なのだ。したがって、本制度を導入した施設にとっては、慢性期の患者さんを長く入院させると採算割れすることになる。つまり、がん治療の適応のない患者さんにとってDPCを導入した病院は利用し辛い仕組みになっているのだ。そして、いま私は「がん治療の適応」と簡単に云ったが、「がん」が再発・転移した患者さんに治療の適応(意味)が有るか無いかを判断することは、実は簡単ではない。いつ治療の適応がないと判断されるのか-科学的な根拠はまだ確立していない。そして、がん治療の適応が明らかに無い場合でも、体調が自然に回復して、再び治療の適応があると判断されることもある。それではいつ、がんの患者さんはホスピス入床基準の「癌治療の適応がない」「癌治療を希望しない」を満たすのであろうか?後者は患者さんの考え方なので、基準を満たすケースがある。わが国のホスピスは絶対数が少ないので、ホスピスはそのような患者さんでいつも満床になっている。しかし、多くの再発/転移性がんの患者さんは「可能な限り治療を受けたい」と考え、家族も「可能なら治療を受けて欲しい」と思っているので、加療を期待する患者さんと家族は、ホスピスの面談という試験に落ちてしまうのだ。これで良いのだろうか。私は医療倫理上の大きな問題があると考えるのだが、これが問題として取り上げられているようには見えない。医療倫理なるものは古代からあまり変わらないのではないだろうか。ヒポクラテスの誓いは現在、ジュネーブ宣言として1948年に世界医師会が医療者の倫理的精神を現代化・公式化している。そのなかで「医療専門職の一人として、患者の信条などで、自分の職務と患者との間に干渉することを許さない」と謳う一文がある。

医師は「可能なら癌治療を受けたい」と思う患者さんの考えを尊重すべきで、それを理由に診察を拒否することはジュネーブ宣言に反する。医学の専門が細分化する現代、医療施設によって違う機能を持たせる政策自体は合理的だと考える。しかし、そのように役割分担させるなら、同時に国民には医療施設の役割(機能)が分担されていることをもっとアナウンスすべきだと思う。そして、一人のがん患者さんに必要な機能を持つ施設(がん治療病院、一般病院、ホスピス、在宅医療)を、がん患者さんと家族がスムースに移行できるようなシステムを構築せねばなるまい。行政が構築/管理できないのでなら、NPOに任せるという発想は非現実的だろうか。

オーストラリアに留学した後輩の土産話を紹介する。オーストラリアでは、がん患者さんの医療環境の調節を行政が担当しており、わが国のように施設間で「転院の交渉」は行われない。オーストラリアでは、がん治療病院が「Acute(急性期)」、ホスピスが「Subacute(亜急性期)」、在宅医療が「Stable(安定期)」という概念だという。そして、がん治療病院に入院した再発・転移性がんの患者さんはsubacuteのホスピスにステップ・ダウンしてから、在宅を目指すという。また、在宅で調子が悪くなった患者さんは、subacuteのホスピスに火急的に入院が可能で、これらを行政が管理する。そして、緩和ケアチームがAcute施設-Subacute施設-Comunityを回診という。すばらしいと思った。わが国でも医療施設間の垣根をとっぱらい、患者さんと家族の情報を連携する施設が共有できるようにして、一方通行でない施設-施設-在宅医療の連携ができないものだろうか。ホスピスの入床基準も急性期病院の保健上のしばりも、がん患者さんと家族に「施設連携」こそが質の高いがん医療になることをアナウンスして支援しなければ、急性期病院もホスピスもジュネーブ宣言に反する医療施設になってしまう。誰のための医療か、がん治療医と緩和ケア医は原点に帰り、行政と話し合っていくべきだろう。いまさら書いていて怖くなってきた。云い過ぎたかも知れない。ジュネーブ宣言を下記に記す。貴方の主治医はジュネーブ宣言を守る医師かどうか確認してみよう。

ジュネーブ宣言

医療専門職の一員としての任を得るにあたり、

* 私は、人類への貢献に自らの人生を捧げることを厳粛に誓う。

* 私は、私の恩師たちへ、彼らが当然受くべき尊敬と感謝の念を捧げる。

* 私は、良心と尊厳とをもって、自らの職務を実践する。

* 私の患者の健康を、私の第一の関心事項とする。

* 私は、たとえ患者が亡くなった後であろうと、信頼され打ち明けられた秘密を尊重する。

* 私は、全身全霊をかけて、医療専門職の名誉と高貴なる伝統を堅持する。

* 私の同僚たちを、私の兄弟姉妹とする。

* 私は、年齢、疾患や障害、信条、民族的起源、性別、国籍、所属政治団体、人種、性的指向、社会的地位、その他いかなる他の要因の斟酌であっても、私の職務と私の患者との間に干渉することを許さない。

* 私は、人命を最大限尊重し続ける。

* 私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や市民の自由を侵害するために私の医学的知識を使用しない。

* 私は、自由意思のもと私の名誉をかけて、厳粛にこれらのことを誓約する。

岩瀬 哲
著者プロフィール:岩瀬 哲

東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部 副部長
1994年埼玉医科大学卒業。2003年より現職。緩和医療学と臨床試験データ管理学が専門。座右の書は「葉隠聞書」。元ボクサー。JAZZはダラー・ブラントの「アフリカン・ピアノ」。リチャード・ドーキンスに影響を受け「進化医学」も標榜している。
2007年以降もっとも力を注いでいる業務は、がん患者と家族を中心とする「地域医療連携」。がん患者と家族には「かかりつけ医」が必要と訴えている。
日本乳癌リサーチネットワーク(JBCRN)と日本緩和ケア検証ネットワーク(JPCAN)の科学ディレクター兼任。2011年8月、TIA(一過性脳虚血発作)を発症するも復活。

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