非公開: 閑話けあ(10)若者

若いということは、それだけで罪であると云った偉人さんが居たとか。私は云い過ぎではないと思う。何歳までを若者と呼ぶのか知らないが、私が10代20代30代のときと比べて、いまの若者は情報をたくさん持っていると思う。情報が簡単にキャッチできるように見えるからだ。

私は乳がん治療を勉強するのに海外の学会に行って勉強したが、現在は学会に出席しなくても出席したのと同じ情報が得られる。私は研修医のとき、大学の図書館に通って身銭を切って論文を取り寄せたものだが、いまでは端末から論文を検索し、プリント・アウトしてすぐに読むことができる。こんな時代(インターネットの時代)になると、一体どんな現象が起こるか?私は一つの現象として「経験」というものが軽視されていると思う。

医療の教育現場では、カンファレンスの最中にスマート・フォンで情報を検索する研修医が居る。彼らは私が研修医のときと比べ、各段にはやく医療情報をキャッチする。ところが、若い医師の診断能はまったく上がっていない。むしろ、若い医者の診断能は私が研修医のころに比べて、落ちてきているように感じる(同じ感覚を持っている文部科学教官がいるはずだ!)。治療法を知っていても(検索はできても)、診断ができなければ臨床医として何の役にも立たない。注射も下手ときたら、もう目も当てられない。患者の役に立つ医者とは、診断能に優れ、技術に卓越し、医学知識も豊富で、そして何よりも(医師ではなく)人としての経験が豊かな者を云うのである。

年を取っていたら良いという意味ではない。若くてもこれらを備えることができるし、これらに終わりはない。最近よく感じることは、上司をバカにする若者が増えたということだ。告白すると、私もかつて上司を軽んじるバカな医師だった。その私よりバカな若者が増えていると感じる。私は医療界しか判らないが多分、他の業界も同じだと思う。知識が先輩並みに、あるいは先輩を抜いたと感じても、人から社会人として信頼されるには時間を要するのだ。そして、じっくり作り上げられたものは壊れにくく、急造されたものは脆い。そうでないこともあるだろう。しかし概ね、そういうものだ。

だから、知識で頭が大きくなった若者は迷惑な存在なのだ。若者が社会に貢献したいと云うのなら、「長く勤めあげろ」と指導する。「忍耐」は鍛練により得るものであり、インターネットでは得られない。そして、若者は上司に堪忍して貰っていることを知らない。上司はかつて若者であったため、若者を堪忍してあげられるのだ。山本周五郎は原田甲斐に次のように回想させている。

「意地や面目を立てとおすことはいさましい、人の眼にも壮烈にみえるだろう、しかし、侍の本分というものは堪忍や辛抱の中にある、生きられる限り生きて御奉公することだ、これは侍に限らない、およそ人間の生きかたとはそういうものだ、いつの世でも、しんじつ国家を支え護立(もりた)てているのは、こういう堪忍や辛抱、- 人の眼につかず名もあらわれないところに働いている力なのだ。」

 

岩瀬 哲
著者プロフィール:岩瀬 哲

東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部 副部長
1994年埼玉医科大学卒業。2003年より現職。緩和医療学と臨床試験データ管理学が専門。座右の書は「葉隠聞書」。元ボクサー。JAZZはダラー・ブラントの「アフリカン・ピアノ」。リチャード・ドーキンスに影響を受け「進化医学」も標榜している。
2007年以降もっとも力を注いでいる業務は、がん患者と家族を中心とする「地域医療連携」。がん患者と家族には「かかりつけ医」が必要と訴えている。
日本乳癌リサーチネットワーク(JBCRN)と日本緩和ケア検証ネットワーク(JPCAN)の科学ディレクター兼任。2011年8月、TIA(一過性脳虚血発作)を発症するも復活。

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