非公開: 閑話けあ(7)人間の定義

その昔、フィレンツェの策略家と云われたニコロ・マキャベリは、人間を「恩を忘れやすく、移り気で、偽善的であり、危険に際しては臆病で、利にのぞんでは、貪欲である」と定義したという。これを知った人は、「よく観察しているな」と皮肉を込めて笑うだろう。私には笑いごとでなかったので、ここに取り上げている。

我々のご先祖様が小集団で永い間(約500万年)、アフリカのサバンナで暮らしていたことは前にも述べたが、マキャベリの観察が正しければ、マキャベリの人間の定義は、アフリカのサバンナで生き残るために有利な形質を示していると云える。食べ物に乏しく、まわりには捕食者(肉食動物)がいる環境で、生き延びるためには、どんな形質が必要か考えてみよう。

食べ物を確保し、危険から身を守るために、ご先祖様は互恵性をたぶんに持っていたと思われる。しかし、自分自身が生き延びていくためには、なるべく恩を忘れ、移り気で、偽善的に振る舞った方が有利だと予想される。危険に対しては臆病であるほど生き残れる訳で、食べ物や自分に役に立つ物が目の前に現れたら、貪欲であるほど生き残れる。

我々がいま「ひとつの系統としての種」として存在していることが、マキャベリの云うような形質を持っていることを証明しているのかも知れない。我々は利己的であることを悪く感じ、利他的であることを善く感じる。しかし、これらはどちらも本能なのだ。利己的であることを肯定するという意味ではない。善く感じること、悪く感じること、これらは本能から来ていると云いたいのだ。

我々のなかには利己性が強く、互恵性の乏しいヒトがいる。これが極端な人間を「社会病質者」と呼ぶそうだ。そして、社会病質者は罪を犯す確率が高いという。罪を犯した人間は、反省する(できる)者と反省しない(できない)者がいるように見える。もしかすると、これは利己性の、あるいは互恵性の程度の違いと相関しているのかもしれない。もちろん、先天的な要因だけで決まることではなく、後天的な要因も大いに関係していることは間違いないだろう。

私は日常診療(緩和ケア)のなかで医療倫理の問題に直面したとき、「人間の本能」を考えてしまう。我々ヒトは、他の生物と同様に生き延びたいのだ。根治性がなく、副作用は耐え難いと聞かされても、治療を受けたいと思う気持ちは本能だと思う。質の高い医療の提供とは、ヒトの本能の理解から始ると云っては過言だろうか。

岩瀬 哲
著者プロフィール:岩瀬 哲

東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部 副部長
1994年埼玉医科大学卒業。2003年より現職。緩和医療学と臨床試験データ管理学が専門。座右の書は「葉隠聞書」。元ボクサー。JAZZはダラー・ブラントの「アフリカン・ピアノ」。リチャード・ドーキンスに影響を受け「進化医学」も標榜している。
2007年以降もっとも力を注いでいる業務は、がん患者と家族を中心とする「地域医療連携」。がん患者と家族には「かかりつけ医」が必要と訴えている。
日本乳癌リサーチネットワーク(JBCRN)と日本緩和ケア検証ネットワーク(JPCAN)の科学ディレクター兼任。2011年8月、TIA(一過性脳虚血発作)を発症するも復活。

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