非公開: 閑話けあ(1)めぐり合わせ

最近のことである。ある医師の友人に「なんであんたがキャンサーネットの理事長やの」と云われたことがった。私は返事ができず、その場で考え込んでしまった。どこから説明すればよいやら…。

はじめはキャンサー・ファックスだった。NCI(National Cnacer Institute)のPDQ (Physician Data Query is NCI’s comprehensive cancer database)を先代、先々代の理事長たちと夜なべして訳していたことを覚えている。いまはそんなことをする臨床医は居ない。PDQは日本語訳があるし、インターネットで簡単に見ることができる。updateもちゃんとされるので、我々の役割はとっくの昔に終わっている。時代は変わるし、人も死ぬ。私が愛読している時代小説のくだりを紹介したいと思う。

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何があろうと世の中はなるようにしかならない。それは人間の小ざかしい思いを遥かに超えた、世の中自体の律動で動いているかに思われた。世の中のために人間のすることなどないのだ。あると思うのは只の思い上がりにすぎない。どうじたばたしたところで、人間は所詮この世の動きの表面に、僅かな掠り傷くらいの爪痕をつけるのが関の山なのだ。

だから人間のすることで意味のあることと云えば、自分がほかならぬ人間であることを、自分自身に証明することぐらいではないのか。他人がどう思うおうと、自分が確かに生きたという自覚の出来ることだけが、人の生きている意味ではないか。

そう感じた瞬間に、六郎のこころはすとんと座り込んでしまった。世の中の動きが自分にとって都合がよかろうと悪かろうと、そんなことに関わりなく、ただ動いてると見えるようになった。さまざまなものがさまざまな色で虚空を彩りながら移ろってゆく。それだけのことだ。そんな移ろいゆく風景のなかに、自分自身もみえる。自分もまたある彩りをもって、他の彩りと共に移ろい流れてゆく存在にすぎない。「見るべきものは見つ」という言葉がある。正にそんな感じだった。世の中をどうしようという気はない。もう沢山だった。いつ死んでも構わなかった。たかが彩りの一つが消えるだけのことだ。他人は気がつきもしないだろうし、それで充分ではないか。

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友人医師の問に答えようと思うと、私は「めぐり合わせ」としか云えない。小ざかしい思いを持ち続けてきた結果にすぎないのである。この8月、私の脳の血管に小さな血栓がひととき詰まったようだ。ベットから動くことを許されなかったときに、自分は少し成長したように想う。自分の働く病院に妹が入院して、家族して自分の病院を診ることができた。妹は先に逝き、私には大いなる不満が残った。今はそれを生かして、病院のがん医療をよくしたいと思っている。そして、自分がベットに上がることで、今度は患者側から医療現場を診ることができた。医療を提供するものに「奢り」のあることが良く判った。いまごろ知って遅いぞと、云われそうだ。しかし、このような情報を知り得るには経験するしかないと思う。インターネットでは無理だ。我々が知った方が良い正しい情報は、一体どのようにして手に入れれば良いのか、それは個々のテーマでもある。そして、一番大事なことは人と人との繋がりだと思う。

岩瀬 哲
著者プロフィール:岩瀬 哲

東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部 副部長
1994年埼玉医科大学卒業。2003年より現職。緩和医療学と臨床試験データ管理学が専門。座右の書は「葉隠聞書」。元ボクサー。JAZZはダラー・ブラントの「アフリカン・ピアノ」。リチャード・ドーキンスに影響を受け「進化医学」も標榜している。
2007年以降もっとも力を注いでいる業務は、がん患者と家族を中心とする「地域医療連携」。がん患者と家族には「かかりつけ医」が必要と訴えている。
日本乳癌リサーチネットワーク(JBCRN)と日本緩和ケア検証ネットワーク(JPCAN)の科学ディレクター兼任。2011年8月、TIA(一過性脳虚血発作)を発症するも復活。

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